●牧野愛博記者プロフィール●
1965年生まれ。91年朝日新聞入社。
瀬戸通信局、政治部、販売局、機動特派員兼国際報道部次長、全米民主主義基金客員研究員、ソウル支局長などを経て、2021年4 月より朝日新聞外交専門記者(朝鮮半島・日米関係担当)。
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2017年7月 イルチャリ
最近、小学生の息子と通う床屋を変えた。いつも使っていた床屋は、韓国語しか通じない。だんだんおしゃれ心が出てきた息子が嫌がり始めた。「前髪をあんまり切らないで、後ろも刈り上げないで」といった細かい注文ができず、不満なのだという。大人も子どもも1人1万ウォン(約千円)でお手軽なのだが、シャンプーもひげそりもないし、「髪が短くなれば満足」という程度の店だったので、息子の要求に従って日本人も良く行くというお店に変えてみた。
ここは大人2万5千ウォン、子ども1万5千ウォンだが、予約が効くので待たされないし、店も広々としている。肝心の言葉はやっぱり韓国語だけなのだが、シャンプーもあるし、技術もまあまあで、息子はすっかり気に入った。
私も満足なのだが、ちょっと驚いたのが、若い人が大勢いたことだ。日本も美容院や床屋は若い人が働いているのだが、ここの場合は、数自体が多い。シャンプーだけする係とか、肩をもんでくれる係とか、実際に髪を切ってくれるわけではない人の数がとても多い。
これも、韓国で有名になった「青年失業地獄」の一つの光景なのだろうか。韓国では二十代の失業者の割合が全体の何倍も高い。働き口を見つけるため、若い人たちは「スペック」と呼ばれる資格や特殊技能の取得に必死になる。それでも、求職者が満足する大企業や官公庁などの働き口は限られている。
床屋だけではなく、大型スーパーやカフェなども若い従業員があふれている。
韓国で5月10日に誕生した文在寅大統領の口癖は「イルチャリ(働き口・雇用)を何とかしたい」だ。何しろ、大統領になった後の「指令第1号」が、イルチャリを作るための大統領直属組織の結成だったし、自分の執務室に失業率など最新の関連データを何種類も持ち込んで掲示している。
大統領も必死だが、大統領が代わったぐらいで妙案がすぐ見つかるほど世の中は甘くない。野党の知人たちは「やっていることと言ったら、追加予算で税金を投入して働き口を作るぐらい。結局、国民の負担が増えるだけで、そんなの何の意味もないだろう」と怒る。
大統領は「非正規雇用(派遣職員ら)を正規雇用に転換したい」とも訴えている。知り合いの経済記者に聞くと、政権の顔色をうかがった大企業が一部の非正規雇用を正規雇用に切り替え始めたという。しかし、それは企業の利益がある程度保障された大企業だからできる技であり、零細企業が同じことをしたら倒産しかねない。結局、政権が問題視する「大企業の寡占状態」を加速させるのではないかという憂慮の声も出ている。
新政権誕生の背景には現状を変えて欲しいと願った若い人たちの気持ちもあったと聞く。その願いは果たしてかなうだろうか。
(朝日新聞社 牧野愛博)