●牧野愛博記者プロフィール●
1965年生まれ。91年朝日新聞入社。
瀬戸通信局、政治部、販売局、機動特派員兼国際報道部次長、全米民主主義基金客員研究員、ソウル支局長などを経て、2021年4 月より朝日新聞外交専門記者(朝鮮半島・日米関係担当)。
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2017年9月 卵騒動
韓国の人々は卵が大好きだ。よく韓定食屋で出てくる食べ物のひとつに「ケランチム」というメニューがある。ケランは「鶏卵」、チムは「蒸す」という意味で、卵をだし汁で溶いて、細かく刻んだニンジンやネギと一緒に蒸して食べる日本の茶碗蒸しみたいな料理だ。
あるとき、知り合いでもうすぐ定年という年配記者が、ケランチムを見ながら、しみじみ、「昔の貧しかったころを思い出す」と話していた。1960年代の韓国はまだまだ貧しく、学校に弁当を持ってこられない子どももいるほどだった。
卵料理は、当時の家庭でのごちそうのひとつ。この記者の家庭も例外なく、卵を心持ち多めの水で、まさに「水増し」したケランチムをつくっていた。各人1皿ずつとは行かず、1皿を皆で分け合うのだが、儒教文化が根強く残っているため、まずそのごちそうは、家父長である祖父の元に行く。年配記者ら、子供たちがじっと見つめる中、祖父はほんの少しだけスプーンですくって手をつけると、すぐに残りを子供たちに回してくれたのだという。
今でも、韓国の居酒屋では、卵焼きは定番人気メニューだし、我が家も週末になると妻が卵の厚焼きを作りだめしておき、平日の子どものお弁当にせっせと詰め込んでいる。
そんななかの8月、韓国で大事件が起きた。
韓国農林畜産食品省が15日午前0時から、韓国の全農場に対して鶏卵の出荷停止を命じたというのだ。14日にソウル近郊の京畿道の農場2カ所で生産した鶏卵から殺虫剤成分「フィプロニル」などが検出されたからだという。3千羽以上を飼育する全農場に対して3日以内に検査を行い、合格した農場の鶏卵だけ、出荷を認めるとした。
翌日の朝刊各紙の1面トップはこのニュースで持ちきり。棚が空っぽになった大型スーパーの卵売り場の写真つきだった。一部の消費者は過剰反応して、食堂の卵料理をこわがり、キムパプ(韓国海苔巻き)屋は、具材から卵を外すといった騒ぎになっている、とテレビニュースは大々的に報じた。
それでも、韓国人は卵への強い愛着心を捨てられなかった。
「これで当分、卵料理は食べられないかな」と思いながら自宅に戻り、冷蔵庫を開けると、棚に新しい卵がぎっしり詰まっていた。不思議に思って妻に聞いてみると、大型スーパーには卵がなかったが、近所の小さなスーパーは問題なく販売していたのだという。検査の網に引っかからない中小農家から卵を買い取っているので問題なかったらしい。
そして、我が家も含め、韓国の人々は数日もすると、何事もなかったように、あちこちで卵料理をほお張り始めた。
(朝日新聞社 牧野愛博)