●牧野愛博記者プロフィール●
1965年生まれ。91年朝日新聞入社。
瀬戸通信局、政治部、販売局、機動特派員兼国際報道部次長、全米民主主義基金客員研究員、ソウル支局長などを経て、2021年4 月より朝日新聞外交専門記者(朝鮮半島・日米関係担当)。
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2019年1月 順天にて
暮れも押し詰まった12月末、休暇を利用して全羅南道順天市を訪ねた。2012年に国際博覧会が開かれた麗水市の北方、車で30分くらいの距離にある。古くは小西行長が築城した日本式の城跡が残っていることでも知られる。順天を訪れるのは留学生時代以来、約20年ぶりだ。当時は、ソウルと順天を結ぶ交通手段は高速バスが主流で、5時間以上かかった記憶がある。今では高速鉄道が開通し、2時間半ほどで訪れることができる。
訪ねようと思ったのは旧知の韓国外交官がリタイアして、1年半ほど前にこの街の大学総長に赴任したからだ。前から「遊びに来い」と誘われていたが、忙しくて延び延びになっていた。念願叶っての訪問は、ほろ苦い旅行になった。
知人は、順天近郊にある楽安邑城(ナガンウプソン)民俗村に連れて行ってくれた。ここは昔ながらの城壁が残り、そのなかに藁葺き屋根の民家が多数、実際に生活を続けている。知人の話によれば、昔の朝鮮半島は、一定規模の都市には、外敵から身を守る城壁があるのが普通だったそうだ。ソウルの東大門や南大門もその名残というわけだ。ただ、何でも20世紀初めに、人口増加と都市の膨脹から、邪魔になった城壁を取り壊す政令が出て、あちこちで城壁が姿を消した。ただ、ここではたまたま街のサイズがそれほど大きくならず、城壁がそのまま残ったのだという。そこに住む人々は観光で身を立てることも考え、わざわざ藁葺き屋根を残し、自治体から補助金をもらって生活しているのだそうだ。
ただ、ここで私が驚いたのは、ここが外国人に有名な民俗村である、慶尚道の安東にある河回村(ハフェマウル)に勝るとも劣らない場所だという点だった。戸数も多いし、実際に生活している人々に会う回数も引けを取らない。
「なんで有名じゃないんだろう」と聞くと、知人は「それは全羅道だからさ」と答えた。「韓国では開発するといえば、いつも保守政権が地盤にする東側の慶尚道が先だった。開発が遅れた分、宣伝が行き届いていないんだよ」
順天市の人口は30万人弱。私の故郷の中心都市と変わらない規模だ。でも、私の故郷の街に比べて、余りに活気がない。翌朝、ホテルに訪ねてきてくれた知人とコーヒーを飲もうとしたが、歩いていける距離にめぼしい喫茶店もなかった。家族がそれぞれアルバイトをして、一見普通の生活をしている「隠れ失業世帯」も多いという。文在寅政権が最近、最低賃金を猛スピードで引き上げているため、零細業者による従業員の雇い止めも目立って増えている。知人の大学も、職員が辞めても補充を控えているという。知人は「街にはお金のないお年寄りのための炊き出しの場所もある。これが全羅道の現実さ」と語った。次に順天を訪れるとき、この街はどうなっているのだろう。
(朝日新聞社 牧野愛博)