●牧野愛博記者プロフィール●
1965年生まれ。91年朝日新聞入社。
瀬戸通信局、政治部、販売局、機動特派員兼国際報道部次長、全米民主主義基金客員研究員、ソウル支局長などを経て、2021年4 月より朝日新聞外交専門記者(朝鮮半島・日米関係担当)。
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2019年6月
順天倭城
5月、全羅南道順天市にある「順天倭城(スンチョン・ウェソン)」を訪れた。豊臣秀吉による朝鮮出兵、「文禄・慶長の役」(韓国の人々は壬辰倭乱(イムジン・ウェラン)と呼ぶ)の際、小西行長が築城した。
海辺に近い、のどかな田園地帯の一角。駐車場にぽつんとある案内板によれば、日本軍は1597年、半島中部・京畿道での戦いに敗退。南東部の慶尚道と南西部の全羅道の海岸沿いに後退した。小西行長率いる日本軍は1597年9月から11月にかけて、全羅道に城郭を築いた。この地で翌98年9月から11月にかけ、文禄・慶長の役最後の大規模な戦闘が行われたという。有名な李舜臣将軍もこの戦いで戦死したという。
私は案内してくれた韓国・青厳大の関係者2人と共に城跡をたどってみた。あちこちに石垣が残り、天守閣の基壇もあった。基壇の上に上ると、初夏の陽気のなか、朝鮮半島南端の海が広がっていた。ただ、なぜか、日本の城跡をたどっているような気分にならない。不思議な感覚がした。
疑問は、青厳大関係者の話を聞いて氷解した。20年ほど前まで、この地は荒れるに任せていたという。行政が保存に乗り出したが、その際、小西行長のゆかりの地である九州の自治体が天守閣の復元などで協力する考えを示したそうだ。
ここで、韓国側は考えた。自分たちで天守閣を復元する技術はない。復元できたら貴重な観光収入源になるかもしれない。でも、韓国に倭城を復元すれば、韓国メディアが黙っていないだろう。「親日派」のレッテルを貼られるかも知れない。それで、この話は立ち消えになり、韓国独自での復元が決まったという。
韓国観光公社公式サイトより
私の不思議な感覚は、「韓国独自の復元」にあった。荒っぽい技術でやったので、石垣が雑なつくりになった。日本の石垣に見られるような、「カミソリの刃も入らない」隙間のないつくりではない。石と石の間は隙間だらけだし、勾配もいい加減で、石垣なのに、人が簡単に上って行けそうだ。
また、天守閣に向かう道も迷路のようなつくりになっていなかった。敵軍が一気に侵入しないように複雑なつくりにした日本の城郭とは明らかに違う。
そんな中途半端な作り方が災いしてか、土曜日の午後だというのに、約1時間の滞在中、すれ違ったのは1組の夫婦と、1組の親子だけだった。
日韓のわかり合えない関係はこんな所にも残っていた。
(朝日新聞社 牧野愛博)