●牧野愛博記者プロフィール●
1965年生まれ。91年朝日新聞入社。
瀬戸通信局、政治部、販売局、機動特派員兼国際報道部次長、全米民主主義基金客員研究員、ソウル支局長などを経て、2021年4 月より朝日新聞外交専門記者(朝鮮半島・日米関係担当)。
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2022年4月
尊敬される人、されない人
先日、私が大変お世話になった外交官が退職した。私が四半世紀にわたって、色々と教えを乞うた人だった。久しぶりにお目にかかり、昔話に花を咲かせた。過去の出来事で「そんなことがあったのか」という面白い話もたくさん聞かせていただいた。少し下世話だが、「どんな人物が尊敬されるのか」という話が、サラリーマンの私にとって面白かった。
外務省には毎年、優秀な人材が入省する。入ってくる時には、すでに大体「できる人」というのはわかるのだという。入省して数年仕事をさせれば、文書の作り方、交渉の進め方、発想などから、「この人は偉くなるだろうな」とか「この人はちょっと」という区分けができるのだという。
私たち外部の人間は「元大使」という肩書に弱いけれど、世界には大使館が150ほどもある。1人の大使が複数の国の大使を兼ねる場合もあるが、色々な人がいる。私の知り合いは昔、こうした「元大使」の1人(仮にAとしておく)が外務省の課長だった時代に、課員として苦労した経験があるという。このA課長は、あまり評判が芳しくなかった。とても外務省主要ポストの課長は務まらないだろうと、人々はうわさし合っていた。ある日、外務省の局長が、私の知り合いを呼び、「今度、Aを君のところの課長にしようと思う」と伝えた。局長が事前に課員を呼び出して、課長の人事を説明するのは異例のことだ。事前に伝えたのは、「君もAが課長になったら苦労するだろうが、何とか面倒をみてやってくれ」という意味だった。この局長は外務省内でも有名な人情家だった。「立場が人を作る」という言葉もある。せっかくキャリアで採用したのだし、一度はチャンスを与えてやりたいという親心だった。
果たして、A課長はまったく使えなかったそうだ。担当している国との折衝、永田町への根回し、課員を引っ張っていく指導力、どれも欠けていた。ただ、こうしたことは「天賦の才」として仕方がない面もある。人徳があれば、課員たちが「この課長を男(女)にしよう」と考え、それなりに成果を出すこともできただろう。ただ、A課長にはそれもなかった。私の知り合いには、「忘れられない悪夢」がたくさんあったそうだが、そのうちのエピソードを一つだけ教えてくれた。その課にはBという課員がいた。あまり仕事ができず、周囲の評判も芳しくなかった。ある時、A課長は課内で電話をかけている最中、「ところで、B君にもそろそろお引き取りを願わないといかんと思っているんだよ」とのたまった。私の知り合いは、デリケートな人事の話を周囲に気も遣わず大声で話すA課長の態度に、思わずひっくり返りそうになった。A課長のもとにすっ飛んでいき、「そういった話はおやめください」と諫めたという。
外務省でも一般の会社同様、退職後もそれなりに当時の仲間や後輩とのつながりが残るものだが、A課長の場合、ほとんどそうした話も聞かないという。外交官と聞くとエリートで敷居が高く感じるが、「案外こうした人間の部分が重要なんだな」と、自分への反省を込めて改めて思った。
(朝日新聞社 牧野愛博)