●牧野愛博記者プロフィール●
1965年生まれ。91年朝日新聞入社。
瀬戸通信局、政治部、販売局、機動特派員兼国際報道部次長、全米民主主義基金客員研究員、ソウル支局長などを経て、2021年4 月より朝日新聞外交専門記者(朝鮮半島・日米関係担当)。
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2022年6月
22年春のソウル
5月に取材でソウルを訪れた。新型コロナウイルスの感染騒ぎも随分おさまり、夕刻ともなると、酒場はどこも、若い人を中心に満員の盛況だった。日曜日の午後、景福宮の近くで、市内に向かって歩いてくる大勢の人たちに出会った。開放されたばかりの青瓦台(韓国大統領府)を見物してきた人たちだった。見学申請者が殺到し、なかなか順番が回ってこないという。知人に「青瓦台って、そんなに珍しいのか」と聞くと、「日本人だって皇居が開放されたら、見に行くだろう」と言われた。北漢山の麓にひろがる敷地は広大で、樹木が生い茂り、公園のなかにいる気分なのだという。知人は「あんなに良い場所だから、みんな大統領になりたがるんだよ」とも言う。
政権交代し、韓国政府の雰囲気もがらりと変わった。文在寅政権当時、「水を飲んでいた」(韓国語で不遇をかこっていたという意味)保守系の人々がたくさん、尹錫悦政権に参加した。出張前に食事の約束をしていた何人かが、その後のニュースで名前が出てきて驚いた。昨日まで無職だったり、政府の外郭機関で働いたりしていた人々が、一夜で政府高官に早変わりした。韓国政府の政策が急展開するのも、無理はない。
明日で東京に戻るという日、知り合いの大学教授と朝食を摂った。共通の知人のAが政府高官になっていた。韓国のテレビで、Aの顔を見ない日はなかった。大学教授が「もうAには会ったのか」と言うので、「いやいや、忙しそうだから遠慮している」と答えた。朝食後、この大学教授から電話が来た。今し方、Aと電話をしたら、電話をくれと言っているという。電話をすると、Aが「水くさい。なぜ黙って帰るんだ。友だちじゃないか。お互い、夜の会食が終わったら、ビールでも飲もう」と誘った。
夜10時過ぎ、約束した場所で待っていた。向こうから背広に身を包んだAが歩いてきた。2人で1時間だけ、ノガリ(スケトウダラの稚魚の干物)をつまみにビールを飲んだ。文在寅政権当時、Aは糾弾され、法廷にも引っ張り出された。あの頃、元気づけようとAをよく食事に誘った。いつも表情が暗かった。あるとき、政府で働いていたときに交換した千枚以上の名刺を捨てたと語っていた。家宅捜索が迫り、知り合いに迷惑をかけたくなかったからだという。名刺をみながらしばらく悩んだ後、「携帯電話に登録した人だけが友だちだ」と思って、全部捨てたという。そんな思い出話をしながら、「もう一度、日が当たる場所に出られて良かった」と声をかけると、Aは本当にうれしそうな顔をした。
韓国では政権が代わるたびに大統領が逮捕されると言われてきた。同時に、Aのように、政争に巻き込まれてつらい思いをする人も後を絶たない。そこまでしても、政治の舞台に身を置きたいのは、青瓦台に代表される権力の魔力に魅入られたからかもしれない。これから続く、尹錫悦政権の5年間。Aやほかの知人たちが活躍し、それが韓国社会で評価されてほしいと思う。
(朝日新聞社 牧野愛博)