●牧野愛博記者プロフィール●
1965年生まれ。91年朝日新聞入社。
瀬戸通信局、政治部、販売局、機動特派員兼国際報道部次長、全米民主主義基金客員研究員、ソウル支局長などを経て、2021年4 月より朝日新聞外交専門記者(朝鮮半島・日米関係担当)。
※お願い※
取材裏話を寄稿してくださる牧野記者が、皆様の感想を楽しみにしております。是非、ご感想・ご意見・ご要望をお寄せください!牧野記者にお届けいたします。
牧野記者へお便り
2024年6月
イムジン河
「イムジン河 いつの日も 清らかな水たたえ 鳥は楽し気に 自由に河に舞う 帰ろう故郷へ 翼あるならイムジンの流れよ 答えておくれ」
韓国出身で、日韓両国で活躍している歌手、キム・ヨンジャさんが2001年の紅白歌合戦などで歌った「イムジン河」の一節だ。イムジン河(臨津江)は北朝鮮の咸鏡南道から38 度線を越え、韓国を流れる漢江に合流し、江華島に抜ける全長254キロの川だ。
もともとは1957年、北朝鮮の音楽家によってつくられた。在日二世で作曲家・音楽プロデューサーとして北朝鮮との音楽交流に携わった李喆雨(リチョルウ)コリア・アーツ・センター代表はかつて、平壌で「イムジン河(リムジン江)」を作曲した高宗煥さんから作品ができた経緯を聞いたことがある。
高さんは「私が27歳のとき、当時、朝鮮で有名な詩人だった朴世永さんの自宅を訪れました。朴さんは55歳でしたが、同じソウル出身で親交がありました。朴さんの自宅でいろいろな話をするうちに故郷の話題になりました。ソウルに残してきた母や兄弟の話にもなり、その思いを、38度線を越えて北から南に流れるリムジン江に込めることにしました」と語ったという。
この曲はソプラノ独唱曲として作られた。だが、当時の北朝鮮は朝鮮戦争で荒廃した国土復興のため、「千里馬運動(一晩で千里を駆けたという伝説の馬のように、高速で国土建設を進めようという運動)」が唱えられ、大勢が一緒に歌える行進曲風の歌が好まれていた。北朝鮮で発表された「リムジン江」の二番は極端なプロパガンダ風の歌詞だったが、それでも時局に合わず、北朝鮮では流行らなかったという。「イムジン河」は日本と北朝鮮をつなぐ歌として位置付けられ、60年代末に日本で発売の動きが始まった。冷戦時代を背景に一時期、日本民間放送連盟が「放送禁止曲(要注意歌謡曲)」に指定したこともあったが、切ないメロディーと抒情あふれる歌詞が、多くの人々に愛された。
キム・ヨンジャさんや李喆雨さんらは2001年と02年、訪朝して金正日総書記と面会した。01年の際には、キムさんが金総書記らの前でイムジン河などを歌い、高い評価を得た。李さんは「金正日総書記は当時、イムジン河が北朝鮮の歌だとは知らなかったようです」と語る。その一方、キム・ヨンジャさんの歌は北朝鮮でもすでに広く知られていたという。金総書記はキム・ヨンジャさんを高く評価し、2 人の写真が労働新聞の一面を飾った。朝鮮中央テレビはキムさんの演奏会を全国に放映した。労働党幹部の一人は当時、李さんに「これからは、堂々とキム・ヨンジャさんの歌を人前で歌える」と嬉しそうに語ったという。
ところが、米政府系メディア「ラジオ・フリー・アジア」は5月23日、北朝鮮当局がキム・ヨンジャさんの歌を聴いたり歌ったりしないよう指示する命令を出したと報じた。北朝鮮は最近、韓国との平和統一路線を放棄し、韓国を敵視する政策を取っている。
李さんは「歌手を名指しで禁じるなんて度を越しています。それだけ、キム・ヨンジャさんの歌には影響力があるということでしょう」と話す。この一件だけを見ても、金正恩総書記には「敬愛する同志」と呼ばれる資格はないと言えるだろう。
朝日新聞社 牧野愛博(よしひろ)