●牧野愛博記者プロフィール●
1965年生まれ。91年朝日新聞入社。
瀬戸通信局、政治部、販売局、機動特派員兼国際報道部次長、全米民主主義基金客員研究員、ソウル支局長などを経て、2021年4 月より朝日新聞外交専門記者(朝鮮半島・日米関係担当)。
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2017年4月 前大統領の逮捕
3月31日午前3時ごろ。私の携帯が振動した。朴槿恵前韓国大統領への逮捕状請求が認められたことを伝える通信社の速報だった。東京や支局の同僚と報道の打ち合わせを済ませた後、ずっとテレビを見ていた。テレビ画面はソウル市南部のソウル中央地方検察庁と、そこから南に15キロほど離れた京畿道義王市のソウル拘置所を二元中継していた。午前4時29分、ソウル中央地検の地下駐車場のシャッターが上がり、黒塗りの車列が次々と出てきた。2番目の車両の後部座席に、容疑者になってしまった朴槿恵前大統領が硬い表情のまま座っていた。テレビ各社の車両が追いかけていく。そのまま約15分、生中継が続いた後、朴前大統領の乗った車両が拘置所の中に吸い込まれていった。
韓国メディアによれば、朴前大統領は約11平方メートルの独房に収監され、503番という囚人番号で呼ばれるのだという。室内には洗面台と便器、机と棚。折りたたみ式のマットで休み、一汁三菜、一食あたり1440ウォン(約150円)の食事を取る。朴前大統領は「オルリンモリ」というアップした髪形がトレードマークだったが、ヘアピンは取り上げられるため、そんな格好もできない。
ついこの間まで大統領府の主だった人のこの転落劇に、韓国の人々の思いは様々だったようだ。
韓国の知人の1人は「民主主義や法治主義への意識がまだまだ足りなかったのかもしれない」と話してくれた。「朴槿恵はきっと賄賂をもらった意識もないし、共犯にされたチェ・スンシルが悪事を働いていることも知らなかっただろう」とも話す。「でも、手続きを軽んじるところがあった。閣議などを開いて決める話を、自分が言えば何でもできると思っていた」。韓国の人々が今回の事態を「権力の壟断」と表現しているのは、正確に事件の本質をとらえている。
「民主主義の意識が低いって、どういうことなんでしょうか」と聞くと、知人は「たとえば譲り合いとか、配慮とか、秩序とか、そういう基本的なことだよ」と答えてくれた。
韓国は猛烈な競争社会だ。私が最近訪れたソウル市内の塾が密集している場所では毎晩午後10時になると、周辺を黄色い塾の送迎バスと、迎えに来た父母の乗用車で渋滞が発生する。塾に行かない子は、やはり学校で午後10時まで自習している。知人は「あまりに詰め込み教育をするものだから、道徳のような学習をする時間がない」と嘆く。
確かに、韓国ではバスでもエレベーターでも、きちんと列を作らずに我先に乗り込もうとする人が目立つ。朴前大統領が逮捕された夜、あの重苦しいテレビ画面に見入っていた韓国の知人はほかにも大勢いた。彼らは5月9日の大統領選で誰を選ぶのだろうか。
(朝日新聞社 牧野愛博)