●牧野愛博記者プロフィール●
1965年生まれ。91年朝日新聞入社。
瀬戸通信局、政治部、販売局、機動特派員兼国際報道部次長、全米民主主義基金客員研究員、ソウル支局長などを経て、2021年4 月より朝日新聞外交専門記者(朝鮮半島・日米関係担当)。
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2017年1月 ろうそく集会とポピュリズム
11月半ば。何回目の大規模抗議集会の時だったか。ソウルでは10月末から、毎週土曜日に朴槿恵大統領を巡る一連の疑惑に抗議する集会が行われていた。私が勤務する事務所は、集会のメイン会場のすぐそばにある。土曜日に出勤すると、お昼ごはんを食べたら、集会の取材をして、原稿を書いて、集会が一段落したころに自宅に帰る、というスケジュールを繰り返していた。
だいたい午後9時ぐらいから集会が落ち着き始める。それでもピーク時には、警察集計でも30万人以上の人がその一角に集まるので、大通りは臨時の歩行者天国になり、歩道から車道まで人で埋め尽くされる。人混みに巻き込まれると身動きはとれないし、バスやタクシーも使えない。この日も人混みをかき分け、かき分け、
事務所近くの地下鉄乗り場に
向かった。
時刻は午後10時をちょっと過ぎたころだったか。幸い、地下鉄の車内は7割ほどの混み具合で、「やれやれ、これで自宅に帰れる」と安心したとき、車掌による車内放送が流れてきた。その文句を聞いて、我が耳を疑った。車掌は柔らかな若い男性の口調で「本日、貴重な集会に参加した皆さん、お疲れ様でした。私は参加することができませんでしたが、その代わりに皆さんを安全にご自宅までお届けするよう、最善を尽くします」と語りかけた。
そのとき、朴槿恵大統領の支持率はわずか4%。抗議集会を支持する人は9割にも上ろうかという時期だった。でも、100%ではない。たとえ100%近くであろうとも、誰かを批判したり、退陣を要求したりする集会である以上、ごく少数ではあろうが、その集会に異を唱える人は必ずいるはずだ。(実際、この日は朴大統領を支持する人々の対抗集会も開かれていた。)
ソウルの地下鉄は公営であり、公共交通サービス。思想や主義主張が異なるいろいろな人が利用する。9割の支持であろうが、2割の支持であろうが、政治集会に対する賛否を公共サービスの場に持ち込んで良いはずはない。これはポピュリズムだと言われても仕方のない行為だろう。
ソウル市の市長や地下鉄労組は朴大統領を批判する急先鋒として知られる。市長は「集会の皆さんにご迷惑をかけてはいけない」と言って、土曜日の地下鉄を増発し、集会場に近いソウル市庁前広場で毎冬恒例になっているスケート場も今年は開場させなかった。これは一見、市民サービスをうたっているが、政治の道具にしていると疑われても仕方のない行為だと思う。
車内放送を聞いて、ぎょっとした私は思わず、車内の様子をうかがった。私のすぐそばでつり革につかまっていた数人の若者グループが、小さな声で「おー」と歓声をつぶやいたぐらいで、他の乗客はほとんど無反応だった。その様子がわかって、なんとなくほっとした。
(朝日新聞社 牧野愛博)